日本の廃競馬場マップ 関東地方

 関東地方(栃木県・茨城県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)の廃競馬場を現在の地図に照らし合わせてご紹介しています。所在地の情報を得られた競馬場のみの掲載となっており、関東地方に存在した全ての競馬場を網羅しているわけではありませんので、あらかじめご承知置き下さい。

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宇都宮競馬場

2005年廃止。今のところ、跡地利用は行われていないようで、Googleマップ等でも航空写真でその姿を見ることができます。再開発が始まっているようで、Googleマップも更新されています。

ちなみに、「幻の新宇都宮競馬場」の予定地がこちらではないかと思われます。これが無ければ、宇都宮競馬の寿命も少しは伸びた、あるいは今も存続していたのかもしれません。

Googleマップで見る航空写真

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古河競馬場

1959年廃止。東北道を走っていて、「ふるかわ」ではなく「こが」なのを偶然知る事となった管理人です。跡地は住宅地や学校になっており、道路形状の一部に競馬場の名残をとどめています。


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荒川沖競馬場

1939年廃止。駅前に立地した、交通の便の良い競馬場だったようです。北側の一部に不明な部分があるため、想像を含め点線で表しています。跡地は現在も駅前で、ショッピングセンターや商店、住宅が建ち並び、道路形状の一部に競馬場の名残をとどめています。


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取手競馬場

1949年廃止。跡地は取手競輪場となっており、その敷地の形状に競馬場の名残を見る事ができます。


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旧足利競馬場

1969年、新競馬場へと移転。新競馬場よりも圧倒的に利便性が高そうですが、渡良瀬川の河川敷にあり、洪水による被害を受けた事が移転のきっかけとなったそうです。現在、河川敷には草野球場等があり、県道8号線が通っています。


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足利競馬場

2003年廃止。足利競馬場廃止以降、高崎、宇都宮と北関東3場が連鎖的に廃止されていく事となりました。既にスタンド等は撤去され、跡地は五十部運動公園等となっています。


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高崎競馬場

2004年廃止。現在はスタンド等の施設が場外馬券発売所として活用されています。詳細は地方競馬場コーナーの旧高崎競馬場(現BAOO高崎・JRA高崎場外)ページをご覧下さい。

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伊勢崎競馬場

1939年廃止。跡地は茂呂島住宅を始めとした住宅地となっており、道路形状にコースの名残をとどめています。


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舘林競馬場

1939年廃止。跡地には工場が広がっており、競馬場のあった痕跡を見つける事は難しそうです。


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粕壁競馬場

1947年廃止。跡地は食品工場等となっており、競馬場の痕跡は見当たらないようです。


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松戸競馬場

1919年、中山競馬場に移転。跡地は陸軍工兵学校を経て、現在は松戸中央公園等になっています。

地図を作れませんでした No Image

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柏競馬場

1952年、船橋競馬場に移転。準重賞から統一JpnⅠにまで昇りつめていったかしわ記念にその名を残しています。開催当時、そばを走る東武野田線には柏競馬場前駅があったそうです。現在、跡地には豊四季台団地が広がっており、周辺道路の形状は、なんとなく競馬場の敷地の形状を思い起こさせるものになっています。


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市川競馬場

1939年廃止。画像のコース北側部分は、航空写真ではっきりとしなかったため、想像を含んでおります。現在、跡地には大洲防災公園や住宅地が広がります。


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目黒競馬場

1933年、府中の東京競馬場へと移転。第一回の東京優駿(日本ダービー)が行われた競馬場として有名な他、目黒記念にその名を残しています。跡地には住宅地が広がっており、道路形状の一部にその名残が見られ、元競馬場交差点には大種牡馬トウルヌソル号の銅像があります(>>Googleストリートビュー)。

上京したついてに跡地に立ち寄ってみました。そこが競馬場だったとは想像できないような、閑静な住宅街が広がりますが、道路形状やトウルヌソル像等、競馬場の名残を実際に見る事ができました。

元競馬場交差点

元競馬場交差点標識


トウルヌソル像

元競馬場交差点にあるトウルヌソル像。目黒競馬場の解説が記されています。

さくらの里街かど公園

跡地の一角にあるさくらの里街かど公園。この桜の木は目黒競馬場があった当時の樹木だと言われているそうです。


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八王子競馬場

1949年、大井競馬場へと移転。競馬開催終了後は競走馬の育成・調教を行なう八王子牧場として活用されていましたが、1965年に開設された小林牧場にその機能は移転され(つまり、大井競馬場の前身かつ小林牧場の前身という事になります)、現在は首都大学日野キャンパス等の学校や住宅地が広がります。かつては大井競馬のアラブ重賞「八王子記念」にその名を残していましたが、1984年の開催をもって廃止となっています。


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羽田競馬場

1939年廃止。南関東3歳牡馬三冠路線の第一弾、羽田盃にその名を残しています。羽田空港が近くにあるから羽田盃、と思っていた時期が私にもありました。一周1,600mの立派な競馬場で、開催当時、地方競馬場の中では日本一の売上を誇っていたそうです。

跡地は住所の通り、羽田空港となっています。当時と比べて、現在ではあまりにも様変わりしているため、地図の位置合わせの精度は低くなっております。もう少し西にずれるのかな、とも思うのですが。。。(逆に大きく外している事もないだろう、とも思います。)新しく国際線の施設も出来ており、競馬場の痕跡は望むべくもありません。


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川崎大師競馬場

1939年廃止。川崎大師(平間寺)とは1.5kmほど離れた場所に存在したようです。現在、跡地は川崎貨物駅等となっており、競馬場の痕跡は残っていないものと思われます。


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横濱競馬場

1942年まで開催、1991年正式に廃止。根岸競馬場とも呼ばれ、東京競馬のダート重賞、根岸ステークスにその名を残しています。跡地は馬の博物館や根岸森林公園となっており、一等馬見所の建物が残っているようです。


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戸塚競馬場

1950年廃止。川崎競馬場の重賞、戸塚記念にその名を残しています。画像の戸塚競馬場は1942年に当地に移転してきたもので、旧戸塚競馬場はJR戸塚駅の東側、現在は日立の工場となっている場所にあったそうです。画像の通り向正面の凹んだ特殊な形状の競馬場で、汲沢団地等となった現在でも、航空写真でその特徴を見る事ができます。



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