日本の廃競馬場マップ 九州地方

 九州地方(福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県)の廃競馬場を現在の地図に照らし合わせてご紹介しています。所在地の情報を得られた競馬場のみの掲載となっており、九州地方に存在した全ての競馬場を網羅しているわけではありませんので、あらかじめご承知置き下さい。

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八幡競馬場

1956年廃止。跡地には工場が集まっており、競馬場の名残は見当たらないようです。


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福間競馬場

1959年廃止。開催当時はそばを西鉄宮地岳線が走っており(2007年廃止)、西鉄福間駅が最寄り駅でした。現在、跡地はサンピア福岡、福岡県消防学校等となっており、サンピア福岡の外周道路に、競馬場の名残をとどめています。


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直方競馬場

1935年久留米競馬場に移転し廃止。現在は住宅地が広がっています。

直方競馬場については、web上で得られる位置に関する情報も非常に乏しく、しかもここで紹介している赤地地区とは別の場所にあったと紹介されているものばかりでしたが、直方の図書館で閲覧した資料により、自分なりの確証が得られたため、赤地地区にあったものとして紹介しています。


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飯塚競馬場

1939年廃止。現在は農地が広がっており、競馬場の痕跡を見つけることは難しそうです。引込み線の有無も含め、点線部分は想像を含んでいます。


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久留米競馬場

1939年廃止。オレンジ色で示している道路が国道264号線豆津バイパスで、豆津競馬場という競馬場が存在したこと、また残っている豆津競馬場の平面図に描かれた形状が、4コーナー(?)のポケットがある点で久留米競馬場のそれよりも類似しているため若干自信がないのですが、久留米市内に位置しますので久留米競馬場と推測しています。現在は住宅地となっており、近くに競馬ではありませんが、競輪の場外車券場のサテライト久留米があります。
なお、九州鉄道三井線(現在の西鉄甘木線)の宮の陣駅と五郎丸駅の間で競馬場前という仮停留所の営業が1927年12月16日から18日の三日間行われたようですが、ここでご紹介している久留米競馬場の開設時期とは異なります。


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旧佐賀競馬場

1972年に開催が終了し、現在の佐賀競馬場へと移転。佐賀駅から2km弱の距離にあり、現在は住宅地が広がっています。


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早岐競馬場

1936年廃止。「早岐」と書いて「はいき」。「放出」は読めても早岐は読めなかった無知な管理人です。現在、競馬場があった場所を川が横切っていますが、競馬場があった頃は、競馬場を避けるような形で南側に湾曲した流れでした。


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時津競馬場

1936年廃止。わずか4日間の開催で廃止になってしまったという、非常に短命な競馬場だったそうです。開催当時は西側が埋め立てられておらず、海に面していました。跡地には時津中学校などがあり、当時の面影は残っていないようです。


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大村競馬場

1939年廃止。競馬場の様子がわかる航空写真を見つけられなかったので、はっきりとした事はわかりませんが、道路形状に競馬場の名残を見て取る事ができるように思えます。

地図を作れませんでした No Image

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諫早競馬場

1954年廃止。跡地は長崎県立総合運動公園陸上競技場およびその補助競技場となっており、外周の形状に何となく競馬場の名残を感じます。


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山鹿競馬場

1954年廃止。跡地には工場があるほかは主に田畑が広がっており、航空写真では道路形状等に、かつての競馬場の雰囲気を感じることができます。


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中津競馬場

2001年廃止。バブル崩壊後、赤字に耐え忍んできた多くの競馬場の中で、最初にギブアップした競馬場で、これ以降、地方競馬場の廃止が相次ぐ事となります。現在、跡地には公園や食品スーパー等がありますが、航空写真で当時の名残を感じることができます。


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宇佐競馬場

1939年廃止。南側部分が航空写真でははっきりとしなかったため、点線部分は想像を含んでいます。もしかすると、もう少し大回りだったのかもしれません。跡地には田畑が広がっており、競馬場の痕跡は見当たらないようです。


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別府競馬場

1954年廃止。跡地は野口原総合運動場等となっており、外周の形状に競馬場の名残をとどめています。


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延岡競馬場

1939年廃止。跡地には学校や住宅地が広がっており、当時を偲ばせるものを見つけるのは難しそうです。


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宮崎競馬場

国営競馬は1943年、地方競馬は1962年度(1963年廃止)まで開催、1991年正式に廃止。休止中よりJRAの育成牧場として活用され、タムロチェリー等の活躍馬を輩出しています。かつては1コーナーと3コーナーにポケットの発走地点があった事が、航空写真で確認できます。また、場内には現在も一等馬見所が保存されているそうです。

Googleマップで見る航空写真

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都城競馬場

1961年廃止。現在、跡地を流れている川は、競馬場があった当時には存在していなかったようです。それも含め、当時の面影を残すものは見当たらないようです。


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鹿児島競馬場

1956年廃止。跡地は学校や団地等となっており、競馬場のあった名残を見て取ることはできないものと思われます。


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南薩競馬場

1939年廃止。戦前に廃止された競馬場にも拘らず、航空写真ではその痕跡をはっきりと見て取ることができます。


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鹿屋競馬場

1962年廃止。日本最南端の競馬場だったという事になるかと思います。航空写真では、画像中点線で表している外回りコースのようなコース跡を確認できるのですが、内回りと外回りが併用されていた時期があったのか、規模が縮小された結果なのかは不明です。現在は住宅地等となっていますが、内回り、外回り共に道路形状等にはっきりとその痕跡を見て取ることができます。



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